会員投稿  
 『サークル活動紹介と3年ぶりの競技会』
牛久地区ダンススポーツ連盟 代表 代永 道裕   
技や姿勢の美しさを競うダンススポーツは、自ら適度な運動量を選択して練習できる生涯スポーツです。
 当連盟の直轄サークル「ひまわり」では、JDSFのアマチュアA級選手の指導で楽しく練習しておりますので、興味をお持ちの方はいつでも遠慮なくお問合せまたはご連絡ください。

【ダンスサークルひまわり 定期練習】
日 時 :毎週水曜日 19時〜21時
会 場 :牛久市中央生涯学習センター(多目的ホール)
連絡先:080-4334-8757(代永)

 当連盟の2022年春期ダンスフェスティバルにおいては、4月2日(土)のダンスパーティーは自粛したものの、3日(日)に牛久運動公園体育館メインアリーナで 「第28回茨城県南春期ダンススポーツ競技大会」を開催しました。
 コロナ禍で3年ぶりに茨城県内で開催される『初の大会』ということで、出場組数こそ従来より少なかったのですが無事に終えることができました。

 この大会はJDSFが推奨する「リアルタイム採点システム」を県内で初めて採用した記念すべき競技会となりました。開催直前まで新システムが上手く運用できるか、技術的なトラブル発生で大会運営が中断されるのではないかなど様々な不安材料が懸念されていましたが、大会関係者の努力と参加者のご協力により、大きな問題もなく予定通りに大会を終了できましたこと感謝申し上げます。
 大会関係者や参加選手が最も心配する「コロナ感染防止」についても、会場入口での丁寧な体温検査やチェックシート提出の厳守など徹底した対策をたてた上での実施だったので、参加者全員が安心してダンスに没頭&楽しめる1日になりました。
 なお、茨城県南地区DS連盟のホームページ(https://ibaraki-south-dsf.jp/)には、この大会の写真140枚以上がアップされていますので是非ご覧ください。
 また8月7日(日)と28日(日)にひたちなか市で開催予定の「JDSF公認指導員研修会」に係る情報なども今後アップされるようですのでご活用ください。
  これからもコロナウイルスの感染防止に注意を払いつつ、サークルを中心とした活動をより活性化させることで地域のダンススポーツ発展に一層貢献したいと考えています。
 
ダンスビュウ 2022年6月号 掲載  
 『20周年記念デモストレーション』
県南地区ダンススポーツ連盟 松浦 剛   

2022年1月16日つくば市で開催された「新春ダンスパーティー」(主催:ダンススタジオ千葉)において、妻直美とデモンストレーション(ワルツ)を踊ることが出来ました。83キロから72キロへ減量して初出場した2002年のJCF主催・ノービス級スタンダード競技会からちょうど20年目となります。
 2008年にJDSFスタンダードA級へ昇級しながら、8月に左足ウラ(薬指つけ根)の黒いホクロが「悪性黒色肉腫」(メラノーマ)と診断され即手術。そして担当医も驚く10年後の2018年8月に再発し47針の手術となりました。(術後の足ウラはまるでフランケンシュタインの顔面です。)
11月から開始した抗ガン免疫治療(ワクチン:オプチーボとヤーボイ2種)は、2019年10月に副作用として「甲状腺機能損傷」を引き起こして緊急入院、さらに「劇症1型糖尿病」も併発しました。入院前67キロの体重が2カ月で55キロまで激減して以来、自ら血糖値を計って毎日4回のインスリン注射(食前と就寝前)を打つ日々が今も続いています。

【大切なこと】
 本気で上達して成績を上げたいのならプロの指導が必須と考えますが、その際一番大切なことは「コーチャーと生徒(ダンサー)の相性」ではないでしょうか。互いに話す言葉が正しく相手方へ通じることが重要です。
 「何を馬鹿なことを言っている、同じ日本語だろう!」と仰る方もおられるでしょう。確かに両者が日本語を話します。でもコーチャーの言葉(説明)がピンとこないとか、質問意図がコーチャーに伝わらないなど同じ言語でも通じない時は<要注意>です。いくらレッスン時間をかけても「理解できない」や「納得できない」等の状態が続けば“骨折り損のくたびれ儲け”、ダンス技術の向上どころではありません。
 幸いながら私はそのようなコーチャーに遭遇しませんでしたが、知り合いダンサーの会話から「コーチャーとの相性が悪くて非効率そうだなぁ」と感じることが意外に多くあります。師を信じることは大切ですが、ダンス技術に加えてコミュニケーションにも長けた(説明上手な)プロフェッショナルを選びましょう。
 次に大切なことは自らの踊り方を見直すこと、基本に戻って正しく確認することです。今更ながらワルツ・ナチュラルターンの難しさやプリパレーションの奥深さに頭を痛めています。タンゴのプロムナードポジションやスローフォックストロットのフェザーステップ、クイックのロック&シャッセなど長年踊っているのに理解不足の基本がイヤッと言うほどあります。
 スウィングやスウェイとはどういうことか、真っすぐに立つとは「本当にまっすぐ?」、「何が真っすぐ・・・?」などキリがありません。コロナ禍で時間的な余裕がある今こそ見直しては如何でしょうか。ちなみにJDSF発行のWDSFダンススポーツ教本(日本語版)を参照すると、最重要語の一つと強く信じていた『CBM』(コントラリー・ボディ・ムーブメント)という言葉がほぼ消え去られ、替わりにライトネス(軽快さ)と表現されています。日々進化し続けるダンススポ―ツ、その間口の広さと奥深さは計りしれず自ら見直せる材料はどこにでも見つかります。

【これから】
 全日本学生舞踏連盟会長の早稲田大学教授・伊藤安二先生がある大会のご挨拶で中国・杜甫の詩から「心不競」(心競わず)を引用されました。今でもその言葉を呟きながら競技会場へ向かいますが、いつの間にか私の心は他カップルとの競争や勝ち負け占められています。今後は少しでも「心不競」を実践しつつシニアなりの“元気な踊り”を披露したいものです。
 私の目標としている方を紹介します。茨城県南地区所属の武田日出男さんです。昭和生まれの83歳ながら2022年4月からも「JDSF会員及び選手として登録を続ける」と嬉しい連絡をくださいました。私は80歳までダンスが出来るどころかまず生きていないだろうと日々感じていますが、武田さんを目標に一日でも長く競技ダンスのフロアに立ち続けられるよう目指します。patty


【感謝】
 最後に、私たちカップルを指導くださる先生方そして応援してくれるダンススポーツの友人や知人に御礼を申し上げます。
  そして40年以上に渡って、特に近年は365日24時間いつも私のことを気遣ってくれるパートナーの直美へ心から感謝します。
『これからもよろしく!』

  ダンススタジオ千葉「新春ダンスパーティー」@つくば

第74回国民体育大会・いきいき茨城ゆめ国体2019
2019年12月24日
茨城県DS連盟 常務理事(県央地区) 黒澤 哲夫

7年連続、魅力度最下位の茨城県です・・・
 そんな茨城県にて、45年ぶりの令和元年に「第74回国民体育大会・いきいき茨城ゆめ国体2019」が開催されました。
 国体開催に伴い デモンストレーション競技としてのダンススポーツ大会が9月22日(日)取手グリーンスポーツセンター(取手市)での開催となり、近隣都県及び福岡県からの選手が延べ339組と県内クローズド種目のフォーメーションが7チーム、団体戦が18チームの参加でした。 表彰式では「テレビドラマ・水戸黄門」の助さん・格さん・お銀に扮した役員が「黄門さま」ならぬ永井会長のお伴を務めました・茨城アピール。
 表彰式や競技の合間に聖徳大学付属取手聖徳女子中学校・高等学校吹奏楽部の生徒さん40名が演奏やパフォーマンスを披露してくれました。
 JDSFが日本スポーツ協会への正式加盟(2019/.4/3)となり「国民スポーツ大会(国民体育大会)」での正式種目となる日が近づきましたね。
 国体開催地での都道府県対抗ダンススポーツ大会が第27回となり茨城県水戸市で建設されたばかりの体育館「アダストリアみとアリーナ」にて11月17日(日)開催されました。
 私は大会記録係(写真撮影)として前日の会場準備から参加しました。
JDSF本部からの人材「チェアパーソン蒲生志津雄氏、スクルティニア山下りえ子氏、百瀬芳正氏」、機材「大型スクリーン・プロジェクター」をお借りして「リアルタイム方式採点管理システム」での大会運営となりました。ヒート割り・シャッフル競技・リダンス競技について経験の浅い私は、その処理のスピード・正確さに大いに感動しました。
 茨城県でも、その人材・機材が欲しいところです。
 この大会には北は北海道から南は次期開催県の鹿児島県まで308組延べ423組と都道府県対抗団体戦に20チームが参加しました。
 三笠宮杯でしか観ることのできなかった踊りをフロアー近くで観れたのはとても感動しました。またカメラを構える私に気付いて笑顔と目線をくれた選手に感謝です。
 団体戦では茨城県が総合5位に入賞しました。この成績は平成7年7月に福島県で開催された第3回全日本社会人スポーツダンス大会(JADA)で第2位獲得、以来の好成績でした。代表選手の皆さんありがとうございました。

 この大会でも競技の合間に水戸葵陵高等学校書道部の生徒さん11名による「書」のパフォーマンス(5mx8mの白布に「舞い踊れ 新生 日本 競舞」等)を披露してくれました。

 
 
社交ダンスを始めて
水戸地区ダンススポーツ連盟  鳥井義勝  

 私と社交ダンスとの出会いは知人がダンスサークルを設立した際、私たち夫婦もお誘いを受け、健康とダイエットのためにと始めました。異性と触れ合う事が恥ずかしく自分で勝手に気まずく感じ、なかなか積極的に組んで踊る事は出来ませんでした。 また、初めて習うダンスの足型も難解で覚えるのも大変でした。先輩たちが踊るダンスは、優雅で美しく、私たち夫婦の憧れでもありましたが、いざ踊るとなかなかハードで息を切らしながら踊ったのを覚えています。  
だんだんと足型を覚え、ダンスパーティーにも参加するようになり、夫婦の楽しみにもなりました。
  習い始めて十数年経ち覚えたステップの数も増えましたが、ここで大きな壁にぶつかりました。曲のリズムのテンポに合わせて男性は男の足型を、女性は女の足型を踏んでいただけでしたが、どうも二人の動きがしっくりこないことに気づきました。二人で話し合った結果、脚の出す角度や歩幅の調整で二人の動きの調和を図る事に専念しました。ですからトラブル続きでしたが自分達の知識ではどうする事もできませんでした。これが私たちの実力です。
サークルの会員になると共に「茨城県水戸地区ダンススポーツ連盟」の会員にもなりました。 水戸地区との関わり合いは水戸地区主催のダンスフェスティバル(ダンスパーティー)参加にはじまり、連盟主催の競技大会のお手伝い、今では採点管理委員の一員として、競技会のルール(規程集)やJDSF支援システム操作等が理解できる様になり、委員の先輩たちの協力のお蔭で、チェアパーソン・スクルティニアの資格試験に挑戦し、資格取得と共に競技大会の運営にも携わるようになました。先輩の委員の方からよく「大会の運営が円滑に進むには採点管理委員の役割がとても重要です。」と言われます。常に正確性と迅速性を求められます。ですから先輩たちに迷惑をかけない様、日夜二人で勉強しております。
 当初は採点管理(支援システム)の仕事をこなすので精いっぱいでしたが、ここ二〜三年前の頃から競技の方に目を向ける余裕が出来、競技会出場者の素晴らしいダンスを垣間見る事が出来るようになり、自分達も競技会に出場し、踊ってみたいという衝動に駆られ、皆には内緒で当時の6級戦にエントリーしましたが、規程人数に達せず未成立。いきなり5級戦に出場するはめになりました。これが私たち夫婦の競技の第一歩です。初めは市民サークルの延長で大会に臨みましたが、他選手と自分たちの踊りの違いを痛感しました。
 他の競技者と競うには、もっと練習をしなければと奮起し、知人に教えて頂いた練習場に足を踏み入れたところ、競技大会で見たことのある選手の皆さんが大勢練習をしていました。皆さんの踊りに圧倒され、隅の方で練習をするのがやっとでした。皆さんの緊張感溢れる練習態度やステップの大きさ、スピードがあまりにも自分達の踊りと違い過ぎ只々唖然としてしまいました。 ダンスとは足型で踊るのではなく、ボディを使う事によって踊るという事も少し理解出来ました。現在は競技大会に通用するダンスが踊れる様に練習に励んでおります。
 現在、日本では高齢化が社会化現象として、マスコミ等でもここ数年よく取り上げられる様になりました。ダンス愛好者も、年々平均年齢が高くなり、JDSF会員数が減少の一途を辿っており、水戸地区DS連盟所属のサークルでも会員数の減少に苛まれ、活動に支障をきたすサークルもあるとの事です。??
 会員確保に向けて真剣に論議されているサークルもあるとの噂も聞いております。
幸いダンス愛好者の皆さんは同年齢の方々と比べて非常に若々しく活力に溢れているように私の目には映ります。

  社交ダンスの効用については健康雑誌等に掲載されておりますので皆様もお解かりと思います。 健康体力増進・夫婦円満のツールとして、社交ダンスを廻りの皆さんにお勧めされては如何ですか?ご夫婦で行えば、共通の趣味と話題を持ち、一緒に楽しむことが出来ます。夫婦円満につながるかも! 私の当座の目標は妻に早くドレスを着せられる様に競技大会で頑張る事です。
 
宮城県 気仙沼温泉 春のふれあいダンス旅行
茨城県ダンススポーツ連盟  中央地区DS連盟 広報委員会  
今年も鹿行地区DS連盟の皆さんの協力を得て、バス1台52名の春のふれあいダンス旅行を催行しました。
@ルートの概要
 一日目は ひたちなか9時出発、那珂ICから常磐自動車道に入り、南相馬SAで昼食、岩沼から仙台東部自動車道、から三陸自動車道と繋いでで降り、岩井崎の潮吹き岩を見学、気仙沼ホテル観洋へは16時頃となった。
 二日目は ホテル9時出発、本吉ICから三陸自動車道に乗り 利府中ICで降り
塩釜の笹かま土産店で買い物、松島で昼食と遊覧船、松島海岸ICから三陸自動車道に乗り、仙台東部自動車道、常磐自動車道と繋ぎ、南相馬SA、中郷PAで休憩、那珂ICで降り、ひたちなか市17時頃となった。
Aお天気と幸運
  帰りの常磐道を走行中所々で小雪の舞うシーンもありましたが、それ以外は好天に恵まれた旅でした。幸運といえばこのツアーは7年前3.11の前3.4・5に気仙沼に来ています。
B車窓の被災地
 常磐道 いわき市を過ぎてから、放置され荒れている田畑が目につくようになってきて、また、散見する家々にも生活の気配が無く、荒んだ汚染地をひた走ることになりました。道路脇の汚染量は1〜3マイクロシーベルトを表示していました。
 ここでは地震や津波の自然災害と違い復興のできない放射能災害地に国土消失の無念さを感じます。 (同時に津波襲来を受けた宮城県女川原子力発電所は高所設置へのこだわりで持ち堪えています)
 もし、この荒れ地に少しでも償う気持ちがあるとすれば、国や電力会社はこの地に太陽光や風力発電および蓄電システムを投入して地域の再生に貢献して欲しいとも思いました。
 一方、三陸自動車道を本吉で降りてから海岸沿いでは、道路脇の電柱に津波の爪痕が表示されていました。
Cメインイベント
 ホテル観洋大ホールベルサイユがディナーダンスの会場となりました。バイキング形式となりましたが料理は上等でした。ダンスタイムは鹿行地区の皆さんとの交流パーティーとなりました。
 男女入れ替え仮装大会では振袖かつらの副会長とやっこ姿の奥さんのペアが優勝しました。 おぼつかない足取りでじらす振袖にしびれを切らしたやっこさんが切り付けるお笑いルンバに会場は抱腹絶倒となりましたが、その仕掛けはその後の表彰式にも続いていました。
D観どころ
 気仙沼手前で岩井崎の潮吹岩に立ち寄りました。ここで風に吹かれながら集合写真を撮りました。潮吹きの噴き上がり高さや形は打ち寄せる波次第、カメラマンには辛抱強さが要求されます。
 買い物で手間取り塩釜港で乗り損ねた松島遊覧船には松島港から乗船しました。たくさんの島一つ一つを右に左に手寧に紹介していくガイドには好感を持ちました。
E買い物バス満杯
 7年前集合写真を撮った気仙沼おさかな市場にやってきました。ここでのくじ引きに事務局長以下多数の当選者が撒き餌となってその後の事態に繋がっていました。ここでの記念写真は欠かせません。 塩釜の鈴木商店も縁のあるところ名物の塩釜笹かまをお土産にいっぱい買い込んだところでバスが音を上げました。これ以上のバスへの詰め込みはご遠慮くださいとのことになりました。
 
わたしのダンス人生
茨城県北地区ダンス連盟  理事 佐藤 道子  

二十年前の早期退職後、時間に追われることもなくなり、何もしない日々が過ぎていったところ、ポストに入っているチラシを見ました。その内容は社交ダンス入門の案内でした。
 ダンスについては、三十数年勤めた仕事(教員)でも経験もなく、どちらかというとからだを動かすスポーツは苦手でした。不安のままダンスサークルに入会しました。
 初日は何とも奇妙な足の動きにとまどいました。まったくだめな自分になさけなくなりましたが、何回か参加し、基本ステップを練習していくうちに、ダンスへのイメージが変化し楽しさがわいてきました。
 サークルでのダンスレッスンを始めてから約一年が過ぎたころ、主人も定年を迎える時期になり、県内の管理職の一泊二日の研修会で定年後の第二の人生をどう過ごしていくかという話題になったそうです。今後生きがいとして何をやるか、その生活設計のうち、文化、芸能、スポーツ等趣味として何をやるか、理由も書いて提出するように言われたそうです。
 そしてその翌日の講師のアドバイスは主人の考えを大きく変えたものだったのです。
 そのアドバイスは、主人の提出した三つの趣味(ゴルフ、書道、社交ダンス)についてのもので、次のようであった。
 ゴルフは自然の中を歩き、身体を動かし、新鮮な空気を吸い、ストレスを解消できるスポーツである。
 書道は脳、手指の機能を高め、精神を安定向上させる手段として適切である。
 以上の二点は一人だけの楽しみであり、ゴルフは月に数回と限られる短所もある。
 社交ダンスは夫婦共通の趣味として手軽に実践が可能で、季節、天候に関係なくできて適切である。全身運動で音楽を伴うため、脳の働きが活発となり、リズム感がよくなる。
 また、いい意味で男女を意識し、若さを保て精神面によい影響を与えるために適切である。
 以上、主人が研修会で助言された内容であった。
 その後主人もサークル活動に参加し、ほかに二人でダンス教室にも週一回通いはじめました。
 教室に入校して、一年ぐらいは、メダルテストを受けたり、パーティやダンス旅行をして楽しみ、ダンスに集中し、ステップを覚えるのに専念してきました。その後競技会出場を勧められ、競技ダンスに足を踏み入れたのでした。
 同時期アマチュアダンスの世界も徐々に変化してきました。当時は、プロの協会とアマチュアの協会は対立関係にあり、特にプロ先生方はアマチュア競技会に出場するのをあまりよく思いませんでした。
 そのような時期に地域のアマチュア協会の役員に主人共々選ばれ、以後地域のアマチュア協会の運営に深くたずさわっていきました。
 五年の歳月はダンスの世を大きく変化させてきました。
 社交ダンスからスポーツダンス(ダンススポーツ)、組織の改革、体協への加盟、プロとアマの垣根の除去、ダンス表現の工夫、強調。
 私は、主人(市会長)を補佐し、地域のダンスの発展に尽そうと考えました。
 競技会出場をやめて十年、ダンス環境も大きく変化し、会員の減少、高齢化現象です。
 そのような環境の中で、地区の連盟と市の連盟の役員を二人で続けています。
  地区のダンススポーツ競技会・連盟主催のダンス旅行、地区、市主催のダンスパーティ、その他研修会等ダンスレッスン同様楽しく活動をしています。

 
“ダンスと出会って”その後・・
茨城県鹿行地区ダンススポーツ連盟  酒井 修  

皆さん初めまして、私は、茨城県の鹿行地区に住んでいます。鹿行地区と言ってもなかなか馴染みの無い場所だと皆さんお思いになるかと思います。鹿行地区は鹿嶋市を中心とした地区であり、特にサッカーの鹿島アントラーズの本拠地でもあります。サッカーを始め武道の神様である「武御槌大神」が祭られている鹿島神宮が市内にあり、スポーツが盛んな地区でもあります。その鹿島アントラーズスタジアムのすぐ隣にあるカシマスポーツセンターでは、毎年茨城県及び地区ダンススポーツ連盟の主催によるダンス大会が行われております。是非一度は観光を兼ねながらダンスの大会に参加されては如何ですか。
 前置きが長くなりましたが、私はダンスと出会って20数年になります。妻に勧められ始めたころは“何が楽しくて踊らなきゃ行けないの”と疑問の日々でした。音楽に・衣装・ステップと何もかもが新鮮と言うよりも逃げ出したい気持ちが一杯で練習は全く身に入りません。そんな日々が続く中、先生の進めでダンスを始めて3か月後の大会に強行出場ととんでもない出来事が舞い込んで来ました。出場するには恥ずかしい事は出来ないと思い練習に打ち込む様になりました。結果は音楽が理解出来ず散々でしたが、ダンスと向き合って練習をするきっかけはここからが始まりでした。直後の日本武道館で日本インターを見学し、選手の踊りのすばらしさ・スピード・観客との一体感に感動し、いつかは自分もここで踊れるようになりたい。と初めて目標が出来て練習に取り込む様になりました。結果、この大舞台に自分たちも出場出来るように成長し、ダンスを始めた頃の感動を味わうことが出来ました。
 趣味で始めたダンスが何時しか生活の一部になる様になると、多少周りとの付き合い方も変わり犠牲にした部分もありましたが、自分達が決めた事ですからやむを得ないと考えた事もありました。どんなに忙しくても“ダンスシューズを履こう”と言うのが決まりみたいになっていました。
 あるスポーツ選手が“練習は嘘をつかないって言葉があるけど、頭を使って練習しないと普通に嘘つくよ”と言ってましたまが、正にその通りだと思います。ダンスは繊細なスポーツであり、その時の感情がそのまま表現として現れるものと思っています。お互い気持ちがのっている時は何をやっても上手くいく。その反面、気持ちがのっていない時はすべて駄目なくらい踊れないもので、感情一つで表現の仕方がさまざまに左右されます。上手く感情のコントロールをし、お互いを尊重出来ればより良い練習になると考えています。
 以前、私たちの先生のところでレッスン中にリーダーとパートナーでケンカになった生徒さんがおり“レッスンに身が入らないのでそのまま帰って頂いた”と言ってました。私もサークルで指導する立場におり、生徒さんがケンカをしている所に遭遇した時がありましたが、まさに帰って頂きたい気持ちでした。先生も生徒も決して気持ちの良いものではありません。どちらかが大人にならいとより良いレッスンにならいと思いました。
  私が住んでいる地区は、茨城県の中でもダンス人口が極端に減っている地区であります。会員数も半減し、地区での運営にも陰りが見えています。若年層の会員が少なく、中々ダンス人口拡大には難しい時期に来ています。我がサークルでも一時期の半数以下まで落ち込んでいます。ダンスパーティー等も休日の昼間でなければ人が集まらない状況にきています。ダンスパーティーの大半が高齢者であること、夜間よりも日中の方が行動しやすいと言った事から年々日中に行うようになり若年層が少なく寂しくなりました。ジュニアや学連世代・高齢者が多くその中間層の拡大が難しいと言った課題が沢山あると思いますが、一人でも多くダンスの素晴らしさ、健康にも良いこと等を伝え、皆さんと楽しくダンスが出来るように勧めていきたいと思います。

 
サークル指導は楽しい・大変
茨城県南地区ダンススポーツ連盟  北島 久子 

私と主人はJDSFラテンA級・スタンダートB級、そして踏歴約30年のカップルです。以前もこのコーナーで書かせていただきましたが、その時はダンスを始めたきっかけや、子供を育てながらダンスの練習や大会に出た時の苦労話などをお話しさせていただきました。
今回はサークルを指導する事について書いてみたいと思います。「指導する」なんて、指導員となってまだ数年の私には大変おこがましい事ですが、数年前に県南の会長からジュニア指導員の資格を取ってみたら?とのお話をいただきました。それまでは人に教えるなんてとんでもない!と思っていましたが、せっかく何年もダンスをしているのに何も教えられないのではダンスをやってきたことも無駄になってしまうのではないかと思い、思い切ってジュニア指導員と、どうせなら公認指導員の資格もとってみよう!と二つ同時に勉強を始めました。
ジュニア指導員の講習会は短期間に4回あり、講習会が終わった後に筆記と実技がありました。公認指導員の勉強と試験も同時期にありましたので、それぞれ覚えるのが大変でしたがどちらも無事合格することができました。
その後副会長からジュニアサークルのお手伝いを、と声をかけていただき初めてサークルに参加させていただいたのですが、初日は何をやっていいか分からず、どう指導していいのかも分からず、ひたすら会長・副会長の指導されている様子を観察していました。
数年前までの私はただただ自分のステップだけを覚えればいい、後はリーダーさん、しっかりやってね!とほとんどがリーダーまかせでしたが、指導する立場になって改めてステップひとつひとつがとても大切なもの、そして意味のあるものと(今更ながらで恥ずかしいのですが)実感しました。特に女性でも男性でもそうですが、相手のステップを覚えることでそれが自分の為にもなり、相手を理解することにもなります。初めて男性の苦労が分かったような気がしました。
現在ダンス人口は10年前に比べてかなり減ってきています。茨城県でもそれは例外ではありません。私がダンスを始めたころはまだ20〜30代の人がたくさんいましたが、その人たちがそのまま年齢を重ね、現在に至り、今でもダンスを続けている人もいれば様々な事情で辞めてしまった人もいる。でも新たにダンスを始めようとする人はあまりいないのでダンス人口は減る一方だと思います。それを少しでも回復させようと、会長が去年の4月に県南地区で新たにサークルを立ち上げ募集をしたところ約10名前後ではありますが集まって下さいました。そこで指導員としてお手伝いさせていただき、そのサークルも今年で2年目を迎えることができました。
他の県南会員の方たちにも助けていただきながら、サークルの会員さん達は指導歴の浅い私を見捨てずについてきてくれます。
ジュニアサークル指導やこのサークルの指導にかかわって一番に感じたことは、全員を一緒に指導することは難しいという事だと思いました。それぞれ出来るところ、出来ないところ、体の癖など人によって全部違うので、それを団体練習の中でどう分かりやすく説明していくかなんていう事は私にはまだ難しいことです。
そこで突然ですがここで私の失敗談をひとつ。私は競技選手でありながら去年の2月にスキーで転び、左ひざの内側測福靱帯というものを損傷してしまい、去年1年間競技には出られませんでした。こんなに長い期間競技に出ないなんてことは一度もなかったのでかなりショックでしたし当初は練習出来ないトレスと、皆においていかれるという焦りでいっぱいでした。

しかし現在私達が師事している先生方にある機会をいただいたおかげでいろいろな事を客観的に見ることができました。それに踊れない時こそ普段なかなかやらない指導員としての勉強もすることができました。自分の身に起こったことに無駄はないんだな、と感じた1年でした。そうやって少しずつクリアしながら今私がサークル指導員として携わっている会員さん達と一緒になり自分も指導者として成長していけたらな、と思います。
 
「ウィンナ・ワルツに魅せられて」
水戸地区ダンススポーツ連盟  大島 和実  
毎年1月1日、新年恒例のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるニューイヤー・コンサートがウィーン楽友協会で行われ、その様子はNHKでTV放送される。2002年には小澤征爾氏が指揮をされた。
 そのTV放映中、ヨハン・シュトラウス2世の『美しく青きドナウ』などの演奏に合わせて、ドレスアップしたウィーン国立バレエ団の若きダンサー達が、宮廷舞踏会の如く、軽快に、そして気品高く、ウィンナ・ワルツやポルカを踊り、まさに聴くワルツと踊るワルツが一体化した幻想的で美しい映像が流れる。
  この素晴らしい映像の中のダンスに感激し、魅了され、いつか自分もシュトラウスの素敵な音楽に乗って、ウィンナ・ワルツなるものを踊ってみたいと思ったのが、社交ダンスの世界に嵌ってしまったひとつの動機である。
以来、ウィンナ・ワルツを踊ることを夢みて、社交ダンスのサークルに加入し、週に一度、元全日本チャンピオン、U先生の個人レッスンを受け始めたのは、10数年前の50歳を幾つか過ぎた頃だった。
  だが、それまでダンスのダの字も知らず、単にTVで観たダンスに魅了されただけで入った社交ダンスの世界は、自分には全く異質で、ステップを間違えるたびに体が硬直し、その上、見ず知らずの異性の手を取って踊るなどという行為自体、羞恥心で一杯になった記憶がある。TVで観るのと自分で踊るのとでは、天と地ほどの開きがあった。
  社交ダンスは、欧米のコミュニケーション文化が形になっているものだという。
握手やハグといった接触文化に慣れていない者にとって、男女が向かい合い、クロスホールドで踊る社交ダンスは、なかなかにハードルが高い。男女が手を取り合っただけで風俗と呼ばれ、歓楽的でスポーツとは言えないと、長らく風営法の適用を受けてきた社交ダンスへの一般的な偏見を、自分自身で痛感する羽目となった。
  しかし、チャチャチャやルンバ、サンバ、そして、ワルツ、タンゴ、スロー・フォックストロットとレッスンが進み、徐々にスキルもレベルアップするにつれて、不思議な事にそういった偏見や羞恥心も次第に薄れ、ダンスこそ健康的で格好の良い、美しいスポーツであることを再認識した。
「鯛も鮃も食うた者が知る」である。
  サークルに加入して2、3年後、U先生からダンス競技会に出てみるよう勧められ、何も知らぬまま参加した大会では、参加選手中、最下位であった。
そもそも自身のスキルが、競技会へ出場するほどのレベルに達していなかったのだが、しかし、そのことが幸か不幸か発奮材料となり、競技ダンスへと目覚めさせてくれた。
そして苦節およそ10年、スタンダードC級、シニアUスタンダードB級、競技C級指導員の資格を頂き、「継続は力なり」を実感しつつ、今はそれらのクラスを維持し楽しんでいる。
  最近になって、二人がワンピースとなって動く能力こそ、大きなスィング、大きな動作、パワーとスピードを産む力となり、綺麗なダンスを踊る原動力であることにようやく気づいた。
ゴルフは力でなく、クラブヘッドを走らせる。ダンスも同じ。「スィングとリズム」でフロアを快適に滑らなくては!、とU先生はいつも優しく教えてくれる。だが、それこそが難しい。
  然程にダンステクニックは、知れば知るほど奥深い。そして、一般の競技会でウィンナ・ワルツ(ヴィエニーズ・ワルツ)を競技種目として踊ることが出来るのは、最上位のA級クラスだけ。C級の私は、未だに当初の夢が叶えられないでいる。
TVを見て感動した当時、ウィンナ・ワルツを踊る事がこれほどの努力と研鑽が必要とは夢にも思わなかった。年々、実年齢と運動能力、ダンス適応力が反比例するのを体感しつつ、しかし、夢は遠ければ遠いほど良い。この先、幾つになるまでダンスを続けられるか分からないが、それまではずっと夢を見続けられる。だからこそ、ダンスは生涯スポーツなのだ。
 こんな私を熱心に暖かく指導してくれるU先生、下手くそな私に黙ってついてきてくれるパートナー、そして、私の贅沢な趣味に理解を示してくれる家族に最大限の感謝をしつつ、私は今日も、ゲミュートリヒカイト(心地よい)、ダンスの夢をみる。軽快で、楽しく、美しいウィンナ・ワルツを踊る夢。
ふたりの回転の遠心力が、爽やかな一陣の風となる。
 

「第11回オールジャパン・ジュニアダンススポーツカップ2016in群馬」に参加して
ひたちなか市ダンススポーツ連盟 理事 米田 健治 
ひたちなか市ジュニアダンススポーツクラブは平成13年6月に磯貝会長(故人)からジュニア育成が提起され、平成15年からはスポーツ少年団として活動し,通算の会員数は200名を超えております。
(公社)日本ダンススポーツ連盟主催の本大会に団体戦が追加となった第7回大会からは連続参加しています。 私は平成25年より田中会長(現名誉会長)より委託を受けスポーツ少年団の団長を引き受けております。
今年の大会への取り組みは、昨年9月からの新規地区(笠間市)でのジニア育成から始まり、核と成る園児2名を口コミで集め、今年3月にひたちなか市だけでなく新地区でも市報で木曜日の夕方に行なう幼児対象の無料体験者募集を行ないました。
5月末に最後となる体験幼児(6歳女子)がメレンゲを初回から異様に上手く踊れるので、母親に本大会への出場の協力をお願いしました。
それからは、片道1時間を要するひたちなか市の練習会場へ土曜と日曜にかよってもらい、団体演技と小3以下ラテンの部で踊るメレンゲとサルサの猛特訓を実施しました。
大会当日の午後の最初に行われた団体戦では全員が元気一杯に踊ってくれたのですが、体験園児のリーダー(6歳男子)が「手がしびれる。とても踊れない-」と熱中症を想像させる疲れを訴え、緊張が走りましたが、保育士の経歴を持つ男児の母親や引率者の中にいる看護師が、塩アメを与えたり水分補給したり励ましたりで少し回復し、午後4時頃からの「小学3年生以下・ラテン」になんとか踊ることができてホットしました。
成績ですが、個人戦は「小学3年生以下・ラテン」に出場の小3年と小2年の女子カップルが準優勝を取り、団体戦は昨年の12位から6位へと躍進できました。更に、今まで富山県のチームが受賞している「ベストマナーチーム賞」を頂くことがでました。参加13チーム中で平均年齢が最年少であり、また、ダンス歴6年の先輩ジュニアカップルに踊ってもらうことで上達したジュニアの集まりであり、纏まりの良い集団である点が評価されたと感じています。
見学や体験者は5年前の大震災の影響で激減していましたが、昨年・今年と少し回復してまいりました。 無料体験に参加された幼児(実際には保護者)のきっかけを知りたくて、アンケートを実施し、回収できた20名を調査したところ「映画 ・日本版シャルウィダンスを見た」が19名と一番多く「山本アナ」や「芸能人社交ダンス部」を見たと合わせた11名を上回る意外な結果となりました。
思い起こせば、映画館で上映されると直ぐに、小生が通っていた社交ダンス教室に100人を超える若者が突然押しかけ、1〜5ヶ月で全員が去ってゆきました。
東京で活躍しているヤングダンスサークルを模したクラブを各教室が新設してくれていれば、30〜40代のダンス人口が今より遥かに多くなったと思うと、悔やまれます。
国体やオリンピックへの参加が現実味を帯びてきた今日ですが、スター選手の育成だけでなく、保育所・幼稚園・学童保育・体育教育への参入支援を組織的に取り組み底辺拡大を図ることも重要と思います。
今大会へ至る6年の歩みに際し、ジュニア指導の動機付けを頂いた小林英夫先生、幼児クラブも「イケル」を気づかせて頂いた綾野和子さま、スポーツ少年団維持のノウハウをご教授頂いた中嶋勉さまに特に感謝申し上げます。

 「夫婦でダンスを続けて…」
茨城県県北地区ダンススポーツ連盟  高萩DSC 沼田 秀幸 
私がダンスを始めた動機は、姉のダンス発表会に招待されて見に行ってからです。プロの先生と生徒が次から次へと踊っていました。
何人もの女性が綺麗なドレスを着て楽しそうに踊っている姿を見て、感動しました。こんな華麗な世界があるのかと、自分がいる世界とは別の世界があるのだという驚きからでした。
それをきっかけに早速、知人の紹介でダンスサークルに入会しました。   
最初は足の一歩から始まり軽快な音楽とリズムでは自分の体が、うまくかみ合わない日々の連続でしたが、少しずつステップを覚え楽しい日々を過ごしていました。
月日が流れたある日、ダンスのイベントがあるという事を知り、足を運んでみました。
それはまた、最初に受けた衝撃で「競技大会」というイベントでした。華やかな衣装を着た大勢の女性や男性がフロアーで練習をしていました。前半はラテン、後半はスタンダードと最後まで見学し、心をときめきさせながら帰ってきました。
それからは、週に一度のダンスサークルも休まず夢中でレッスンを受けていました。私でも競技大会に出場できるという事を知り、まず相手(パートナー)を探しましたがなかなか見つからず、妻にダンスを始めてみないかと頼んでみたのでしたが、あっさり断られてしまいました。それでも、何とか無理に頼んでダンスを始めてもらうところまでこぎ着けました。
妻はダンスなどまったく経験がなく、覚えるのにかなりの苦労と努力があったのだと思います。また、家庭では二人の子供も低学年でしたので、今振り返れば子供達にもだいぶ迷惑をかけていたのかと思います。
競技会に出場する為には、やはりサークルの練習だけでは厳しい事に気付き、プロの先生にレッスンを受けることにしました。自分達のダンスを見てもらいアドバイスを受けることにしました。そのアドバイスを受け、二人で何度も何度も復習し練習をしました。趣味といえども、競技大会は上達する近道かもしれません。
それから数か月後、水戸市の競技大会に出場することになりました。大会競技場の中は大勢の選手でいっぱいでした、私は6級戦のラテンとスタンダードにエントリーしました。初めての大会でしたのでフロアーに入った瞬間頭の中は真っ白になり、足が震えていました。
ラテンの部とスタンダードの部で、何を踊ったのか殆んど記憶にありませんでしたが決勝戦まで残り、妻も喜んでいました。
競技会に出場する回数を、何度か経験して少しずつ慣れてはきましたが、フロアーに立った瞬間の緊張感は、何度経験してもドキドキしてしまいます。
苦労があったからこそ満足が得られる、達成感は今でも同じ気持ちです。二人の子供達も成長し、今では大人の意見を頂いています。夫婦二人の趣味が同じく出来る事は楽しくもあり、とても幸せなことだと思います。         
子供達には、「夫婦で出来る趣味は少ないので、これからも二人で仲良く健康でダンスを続けてほしい」と言ってくれました。ありがたい励ましの言葉を貰いました。長く二人で頑張ってこられたのはやはり健康であることへの感謝もあります。まさか、ダンスをこんなに長くやり続けられるとは想像できませんでした。
今振り返ると、簡単に考えていたダンスがこれほど奥深いとは思いもしませんでした。まだまだ未熟で教わることも沢山ありますが、これからは少しずつダンスを楽しんで行きたいと思っています。
最後に言える事は、ダンスを通していろいろな人達との出会いは、今の私達にとってかけがえのない宝ものです。人との出会いは、私の人生の中でとても大切なことだと感じました。 これからも、ダンスを続けながら楽しい思い出を残そうと思っています。

 「七十歳を迎えて」
茨城県鹿行地区DS連盟 キープスマイルダンスクラブ 塙 よし子 
ダンスとの出会い
友人が定年を迎えたのを機にダンスを始めたのよ〜と、見るとなぜかいつもより生き生きとしていて若く感じました。
「リズムに乗って身体を動かすって、とても気持ちいいのよ〜」との友人の言葉に誘われ、ダンスパーティーに付いていくことに・・・
みんな、額に汗をかきながら、笑顔で本当に楽しく踊っていて、今まで見たことの無い光景に一瞬驚きと感動を覚えました。
歌・音楽と身体の融合、私は直感的に明日から早速やろう!!と思い、すぐに近くのサークル、キープスマイルダンスクラブに入会し、週に一回の練習を始めました。
練習は夜のみの参加としましたが、特に寒さに弱い私は辛くて何度もやめちゃおうかなと挫折しそうになる自分との戦いでした。
  ちょうどそんな時6級戦相当の基礎技能認定試験に挑戦してみないかと、数人の会員さん達と一緒に誘われましたが、休みがちだった私はまずは休まないで頑張る、という目標を掲げコーチの指導に夢中でついていくことにしました。
この基礎技能認定試験は友人と一緒に取り組みましたので、さぼることなくみんなで楽しみながら挑戦することができましたので、ダンスを始めて間もない私でしたが結果は素晴らしい成果を収めることが出来ました。 また友人から、たまにはダンスパーティーに顔を出してみたら?という言葉に救われ、近くで開かれたパーティーに出かけてみることにしました。
  会場に入り音楽を聴いていると身体が自然と動き、やっぱりダンスはいいな〜と、ダンスの楽しさを身体で感じもう一度頑張って、上手に踊れるようになりたいとおもい直しました。
  さらに、日ごろ鹿行地区DS大会の際、役員としてお手伝いをしながら、私もあの華やかなドレスを着てフロアで踊ってみたいと思っていた私は、もうすぐ70歳その記念として競技会に出たいと思うようになっていました。
コーチにそのことを話したところ、ぜひ挑戦してみましょうと快諾いただき、とてもうれしい気持ちになったことをいまでも覚えています。
華やかな競技会への初挑戦、表向きの華やかさとは裏腹に、ラテン二級・スタンダードD級への挑戦のための練習は厳しく大変でしたが、基礎技能認定会への挑戦の時と同様、コーチに相手をお願いし練習を始めました。
しかし、まだまだ未熟な私、こんな難しいことができるだろうかと、戸惑いと不安でいっぱいになってしまいました。
案の定、大会当日は上手そうな大勢の人に圧倒され、すっかり固まってしまい、背番号をコールされてもうわの空で舞い上がってしまいました。
踊っていると、のどはカラカラ・・・コーチのリードにただ夢中でついて踊るのみでした。
その成果は?スタンダードD級戦優勝、ラテン二級戦優勝、自分でも信じられない結果を収めることができ、応援に来ていただいた会員さん達と飛び上がって喜んでしまいました。
最後にコーチとの練習の積重ね、ダンスとの出会い、踊る楽しさ、勝負の厳しさを体験できましたこと、そしてコーチの厳しくも温かいご指導に感謝の気持ちでいっぱいです。
  これからも、ずっとず〜っと年齢など考えないように、いつまでも若く、健康のためにもダンスを楽しみ、踊り続けていきたいと思っています。


 ねんりんピックおいでませ!山口2015に参加して
茨城県県南地区ダンススポーツ連盟 副会長 大曽根 園榮 
「ねんりんピックおいでませ!山口2015」は[おいでませ!元気な笑顔ゆめ舞台]をテーマに開催する第28回全国健康福祉祭やまぐち大会です。
10月17日(土)から20日(火)の間、山口県各所で開催されました。
私達茨城県選手団は、スポーツ交流大会、ふれあいスポーツ交流大会、文化交流大会を含め136名の選手と役員による選手団が参加しました。
山口駅に着いた時、市民の方々、ボランテイアの皆様等が笑顔で迎えて下さいました。
総合開会式は、17日(土)、山口市「維新百年記念公園」で行われました。
全国から集まった約1万人の選手団による入場行進、ねんりん世代4組による炬火リレー、数々のアトラクション、郷土芸能、郷土料理によるおもてなし等、山口県の魅力が満載でした。
私とリーダーにとっては、はじめてのねんりんピックの参加でしたので、劇的な総合開会式に感動しました。
そして翌日18日(日)は光市総合体育館でのダンススポーツ交流大会本番でした。
光市は、山口県の東南部に位置し、瀬戸内海の温暖な気候と穏やかな自然環境に恵まれた市です。
選手観覧席には、地元の中学生の応援メッセージが描かれておりました。
団体戦は、都道府県と政令指定都市からの代表選手からなる51チームの参加でした。
個人戦へは、4種目で延べ695組のエントリーがありました。
私達茨城県チームも個人戦(ラテン、スタンダード)・団体戦に出場しました。
個人戦は、1組がラテン2種目、3位に入賞し、ずっしりした銅メダルをいただきました。
団体戦は、今年は超ハイレベルとの事で準決勝で終わってしまいました。
2年続けての連覇は無理でした。残念でした。
団体戦では、お互いに他の県の選手の仲間同士も応援しあい、とても楽しい大会でした。
競技は、どの種目も単科戦ですので、たくさんの種目に出場している選手の方は、忙しい
タイムスケジュールだったと思います。
私達も初めての参加ですので、初めは戸惑いましたが、進行の流れが解かってからは、スムーズに準備ができ、楽しく競技することができました。
アトラクションは、「ひかり太鼓」、小学1年生から高校3年生のメンバーによる「新体操クラブ」の演技が披露されました。
最後に模範演技が行われました。
「西村康弘・大竹舞」組によるラテンのデモンストレーション。
「オレクシー グザー・大田史佳子」組によるスタンダードのデモンストレーションが披露されました。盛り沢山の内容で楽しい大会でした。
実は、私は2007年に茨城県牛久市で行われました、「ねんりんピック茨城2007」
ダンススポーツ交流大会の競技役員をしておりました。
その当時も大変な事業と思っておりましたが、自分が実際に大会に参加してみて、ダンス
関係者だけが行う大会と違い、行政の方々と一緒に行う事業なので大変なご苦労があつたろうと感じました。
この大会に参加して、山口県の皆様には大変お世話になりました。
感動的な総合開会式、ダンス仲間との輪がさらに広がった団体戦。ねんりんピックならではのものだと思います。
また参加できることを願っております。


 30周年を控えて
茨城県西地区事務局長 野口 芳男 
30周年を控え、データの整理を始めて改めて気づかされました。それは会員数の減少です。毎年、地区の活動予定に会員の拡大を掲げてまいりましたが、減少に歯止めがかかりません。1997年に46サークル、登録会員数811名をピークに下降線をたどるばかりです。20周年を祝った10年前に497名まで減少して嘆いておりましたが、今、改めて今年の登録数を確認して今後、どうなることかと不安に駆られます。
会員の減少には各地区、各県でもささやかれているところですが、解決策は見出されていないのが現状と思われます。各地区でも会員拡大には力を入れていることと察しますが、愛好者の高齢化、新規登録会員の極端な減少、には打つ手がないといったところです。
西地区でも会員拡大の一環として、技術認定会を開催しております。参加者は多くありませんが、開催ごとに数名の新規登録者を出しております。
西地区は、範囲が広いため比較的中心地と思われる、今回の30周年の会場となるホテルも自宅から一時間の距離です。会議においても同様です。執行役員の皆様も一時間以上の距離を押して会議に挑むことになります。このような状況の中、様々な行事を一堂に会するという事は、大変な労働となり、会員数の多い時期には、競技大会の開催は「北」と「南」とに分け、会場を桜川市、と常総市の体育館二か所で開催し、協力役員はそれぞれの地区で担当する方法をとってきました。しかし、会員数の減少した現在は、二体育館での隔年開催は変わっておりませんが、担当役員は西地区として開催せざるを得ない状況です。
10年前の約半数240名の登録数で始まった30周年記念事業も、嘆いてばかりもいられないので、各サークルへの案内から、参加募集に入り、何名の参加者があるのか不安いっぱいの中、企画会議で当初150名の募集予定を立てた。雰囲気としては余り、盛り上がりに欠けているかに見えたが、途中の会議で募集予定を170名に変更したが、それでも、各サークルの奮起と協力のお蔭で180名まで参加者を募ることができました。
また、来賓の方のご協力もあり、最終目標の200名に達することができました。
茨城県の行事も入る中、参加者が決定すれば次は動くしかありません。前月まで月一度の企画会議も、空いている日曜日は全て企画会議に充てるしかありません。この文章が形になるころには記念式典は終わっていることと思われますが、執行役員の皆様にはもうひと踏ん張りをお願いする次第です。
幸いにも、14年という長い期間、事務局に関わらせていただいたおかげで、20周年記念式典も経験させていただき、10年前の企画書を参考に、「記念誌はどうするのか」、「記念品はどうするのか」、また予算案の作成といった先の見えない会議です。事務局にとって記念誌の編集作業は大変な作業となります。素人集団での編集となるわけですから、当然のこととなります。
プレゼンテーション用のデータ作成に入り、写真の整理作業に入りました。今まで雑に撮りためてきた「つけ」が一気に重くのしかかった気がします。写真の整理、年度別の事業の整理等、普段使われていないソフトを使用しての作業となり、苦戦を強いられております。事務局において下準備をしておかないと会議が長引くばかり、と思いつつ、仕方のない作業と考えながらこなしています。
いよいよ、最終的な詰めに入ります。ホテルでの打ち合わせです。会場のチェック、花屋さんとの打ち合わせ等を行い、また、メニュー等も確認しますが金額で判断、お任せしかないので帰路につきます。残すはビデオ業者との打ち合わせだけとなりましたが、事務局としてはまだまだ印刷しなければならない資料がたくさんあります。
この様な大きな事業は、私の時代にはもう来ないかと思いますが、元気でいればまだまだ協力できることは数多くあると思いますので頑張っていきたいと考えております。
皆様のご協力をお願いします。


 魅力度向上はダンスから
水戸地区 千葉 秀哉 
 還暦を機に公民館での週一回。二時間のダンスサークルに通ってはや十三年。時々欠席もあり、物覚えも悪くなって一向に上達しない。それでもサークル当日は禁酒して、しっかり歯磨き、安物のオーデコロンを一振りし、公民館に向かいます。
練習後の達成感と翌朝の軽快な身体の動き、爽快な気分二、三日続きます。十年余も嗜むことで、少しは心に余裕らしきものがうまれてきて、ダンスはパートナーと二人で心を通わせることによって、ダンスを完成させると言うことが、おぼろげながら分かってきました。それを十年四百八十回という途方もない日々を学ばせていただき、健康保持に大きく貢献してくれていることに感謝しなければなりません。
話題がとびます。
「魅力度」については良くTVなどマスメディアで、民間調査機関などによる全国四十七都道府県の「魅力度」の番付けの調査結果を基に話題にあがることがあります。茨城県は毎年最下位争いを続けており、ここ二年間は連続ぶっちぎりの最下位だそうです。それもバラエティ番組などが多く、茨城県出身のタレントが馬鹿にされているのを見るとわが身の様で腹ただしく感じます。変な意味で脚光を浴びたからかどうかは分かりませんが、茨城県が音頭をとって魅力度アップのためのキャンペーン用ポスターが作成され、「なめんなよ!!茨城県」と大書されたポスターが新聞でも話題になりました。この文言に対して「まるで喧嘩腰だ」、「他県に対して挑戦的だ」、「反省なし」とかの批判を浴び、改訂版ポスターを見ると、今度は文字を小さくして、「茨城の旬を食べっけ」、「秋を満喫すっぺ」、と自然と食を宣伝したあと、赤い文字で、「なめんなよ!!茨城県」と前回と同じ文言が記されていました。茨城の自然を宣伝する事も大事ですが、茨城県民のお人好しなまでに他人を迎え入れようとする性格の良さ・おおらかさ などを鑑みられるのも良いのではないかと思います。
人間としての「魅力度」とは何かと問えば、経済力や自然環境といったものではなく、人としての内面性にあるのではないかと思います。? ??「人間性としての魅力度」を磨くにふさわしい方法として、幸いにも、ダンススポーツを嗜む私どもには、身近なところに「魅力度アップ」の方策が秘められています。
「ダンスに理屈はいらない。」等と言われますが、パートナーに対して常に気品(品格)
ある立ち振る舞いと、優しい心づかいで接することが必須条件です。略すれば、「気品と優しさ」こそが、人間としての「魅力」を産み育てるのではないかと思います。
ダンスの技量向上に努力することが、そのまま人間の魅力向上につながると考えます。ダンスはなんと素晴らしいスポーツなのでしょうか。私達ダンス愛好者が己の魅力度アップをはかり、一人から二人、二人から三人と輪を広げ、茨城の魅力を「自然環境・食べ物・県民性」の他都道府県に無い魅力度をアピール出来る様、ガンバリましょう。


 春のふれあいダンス旅行
中央地区 鈴木 俊 
茨城県中央地区ダンススポーツ連盟では今年も茨城県鹿行地区ダンススポーツ連盟の協力で諏訪大社参拝と蓼科温泉1泊2日の旅をバス3台120人で催行いたしました。今回は2月1日から2日にかけた旅の模様をレポートさせていただきます。
@ルートの概要
近頃バスツアーでもパワースポット廻りがブームになってきているとのこと、このため諏訪大社参拝が計画に入って来たようで、コースは常磐自動車道―中央自動車道―諏訪IC−メルヘン街道−蓼科パークホテルのルートを往復することになりました。
A天候
旅の善し悪しはその場の天候に左右されます。今回は2日間ともまたとない快晴にめぐまれ、会員皆さんの普段の行いが報われた感じです。
諏訪の気温マイナス10度と聞いていたので、防寒は勿論、滑り止めの付いたブーツなど、中にはスパイクの出る靴など皆さん色々です。
Bパワースポット
諏訪大社本宮の下が今話題の糸魚川・静岡構造線大断層の中央部となっていて大地のエネルギーが凝縮されている神霊磁場の最高に満ちている所だそうです。ここで集合写真を撮られ、2礼2拍手1拝の作法に従い祈念しました。
次に一風変わった貧乏神様のところに案内されました。茅野市の丸井伊藤商店の味噌樽の中にしょぼくれた風情の神様がいました。お客さんは樽の脇に立っている御柱の切株をすりこぎ棒で3回叩き、足で3回蹴飛ばし、樽の中の標的に一つかみの大豆を投げつけるのです。貧乏神様の脇には、恐いかあちゃん、酒飲みとおちゃん、浮気の虫、痛いいたいの、病気飛んでけ、自分自身の弱い心、リストラ、不景気、いじめっ子、交通事故、体脂肪などターゲットは色とりどり、この的の内一つでも、二つでも目がけて思いっきり豆をぶつければ、心身ともにすっきりします。パワースポットとは言えないけれど、旅の一興です。
C蓼科パークホテル
4時に到着後すぐに風呂に入り、旅の疲れを癒しました。
6時からの夕食は4人で囲む囲炉裏端方式です。ここでは、鍋奉行ではなく、囲炉裏端奉行に焼き物をおまかせしました。
焼き煙の立つ中、120人の大宴会は壮観でした。
Dダンスタイム(7:30〜22:00)(含む仮装ダンス大会)
120坪のダンスホールは地下にありました。ここで、宴会を早々に切り上げてきたメンバーによって、7時半から恒例の仮装ダンス大会がはじまりました。審判は元会長の田中秀朗氏、女装した男性は女性らしさを、男装した女性は男性らしさを如何にアピールできるかで審査したいとのこと、種目はルンバです。予選、2次予選、3次、準決勝、決勝と進む中、人数が減って行くのは、田中さんが選手たちの間を歩いてお土産の袋を渡していたからです、渡されたカップルはそこまでになります。今回優勝したカップルは最初から異色でした。それまでは女装にしろ、男装にしろ、らしさを別個に追求してきたのに対し、このカップルはお揃いのデザインを選びそこからお互いの身体にヒットするようデフォルメすることで、完成度の高いカップルが出来上がっていました。後で聞いたら、マイケル・ジャクソン志向とのことでした。後はのびのびダンスを楽しみました。
E車窓からの白い雪山
真っ白い南アルプスの山並は新鮮でした。甲斐駒ケ岳の次に八ヶ岳全容、終着は蓼科山でした。
帰路、諏訪から甲府までの50キロはずっと富士山を撮り続け、170ショットになりました。


 海外でのダンスの楽しみ
県北地区 伊藤一光 

靴を持参するようになった。インターネットのおかげで、海外で踊れる場所を捜すのが容易になったのもありがたい。
1998年の年末、米国サンディエゴ。これが私たちの海外でのダンスの始まりである。湾内遊覧船の狭いダンスフロアだった。当時まだ習いたてで、チャチャチャくらいしか踊れなかった (入会したサークルが当時チャチャチャをやっていたので)。下手なチャチャチャでも喝采を浴びて気分を良くしたが、今思い出すと実に恥ずかしい。
2000年代初頭、シンガポール。それなりに広く自由に踊れるダンスホールもあったが、特筆すべきは Club Five というナイトクラブである。25平米程度の狭いフロア (競技会なら 1組分) に、競技選手も有閑マダムも観光客も殺到する。そんな中でも、熟練者がスローフォックストロットを自由に踊っていたのは驚異的であった。
シンガポールでダンスを楽しむには国際10種 (除パソドブレ) の他に、サルサ、メレンゲ、バチャータ、アルゼンチンタンゴも必須であった。
タイ王国バンコク。ここには毎年ダンスの「合宿」に行っている。某所に使い放題のダンススタジオがあり、国内では練習不足の私たちだが、バンコクでは毎日練習するので「合宿」と称している。
そのスタジオで、タイ国ラテンアマチュアランキング 3位 (当時) の選手と知り合い、ジャイブの手解きを受けたりもした。日本では上級者以外にはほとんど無縁のジャイブであるが、タイでは老いも若きも踊る。
夜は夜で、ピアノの生演奏に合わせて踊れるレストランがあり、そこで踊るのも楽しみである。シンガポール同様、サルサ、メレンゲ、バチャータも必須だ。ヴェニーズワルツは、アメリカンスタイルで踊る人もいる。
2011 年には、旅行時にたまたまバンコクで WDSF オープンが開催されていたので、それを観戦することができた。併催の競技のうち、安心して見ていられるのは壮年の部 C級くらいで、他はすこぶるレベルが高い。幼少の部といえども、「小さくてかわいい」だけではなく、踊りとしてすばらしかった。タイでダンスと言えば、首都バンコクの金持ちの遊びと思いきや、田舎の県からも多数参加していて、しかも優勝者も出ていた。タイではダンスが日本より盛んと言えそうである。
今年は、ダンススタジオで知り合ったご婦人から、超高級リバーサイドホテルの午餐舞踊会に勧誘された。音楽は管弦楽団の生演奏。我々庶民には縁遠い富貴な方々 (高級料亭のオーナーとか、王室の侍従とか) が集う場であったが、我々もダンスでは負けなかった (つもり)。
このように、バンコクでは、日本では考えられない充実したダンスライフを楽しむことができる。
米国ラスベガス。ダンススタジオやホテルで開かれるダンスパーティーを楽しむことができる。練習がしたければ、ダンススタジオのレンタルも可能である。
我々にとって、米国のダンスパーティーの最大の問題は、米国式が主流で国際式は影が薄いということである。
米国式の踊りがあることは知識として知ってはいても、間近で見ると国際式との違いに驚く。ワルツ、タンゴなど国際式とほとんど同じようなものと思いきや、かなり違う。東南アジアでも米国式ヴェニーズワルツを目にすることが多いが、それと同じように、アンダーアームターンや、男女が左右に開くステップが多用される。
国際式で踊っても文句を言われるわけではないが、我々には彼らの緩慢な動きが邪魔であり、彼らは我々を暴走族と思っていることであろう。乱暴なまとめ方になるが、国際式は広いボールルームで目立ちたがる踊り、米国式は狭いナイトクラブで二人の世界に浸りたがる踊りと言えようか。
悲しいことに、米国でも、ダンス人口の減少と高齢化は進行しているようである。
ロシア、サンクトペテルブルグ。ここのダンス事情は謎である。WDSF でのロシア選手の活躍を見れば、そこにダンススポーツがあることは確実なのだが、観光客がそれに触れることはできない。英語によるインターネットの検索では、米国フロリダ州にある同名都市の情報ばかりがヒットしてしまう。ロシア語で検索する必要がありそうだ。今後の課題としよう。
国により多少事情は異るが、世界の人々と楽しみを共有できるダンスという趣味を持てたことを嬉しく思う。
バンコクのダンススタジオにて撮影



 ダンスって素晴らしい
鹿行地区旭DSC 若林 弘子 

私たちの住んでいるところは、茨城県は県都水戸を離れ、南へ車を23キロ走らせ、平成17年に隣接の三町村が合併によって誕生した鉾田市、旭地区にあります。最近の調査で茨城県は都道府県の中で魅力のない町47位と言う最下位のレッテルを貼られています。
ですが、どうしてどうして、かの有名な横山大観、木村武山達を育てた絵師、岡倉天心が住んでいた、北茨城市五浦海岸地に六角堂(東日本大震災によって流失して立て直されたばかりです。)があり最近 “天心 ”と言う茨城オールロケにて映画が出来ました。セットを壊さずに観光に使われているとか、ぜひ機会がありましたら茨城県へお出かけ下さい。そしてあたり一面ビニールハウスの立ち並ぶ全国一美味しい旭メロンの産地でもあります、この純農村地帯に住んでいることの幸せを感じています。
さて、私たちのサークル(旭ダンススポーツクラブ)を紹介したいと思います。
毎週金曜日、午後七時三十分から九時三十分まで地元の公民館に於いて練習に励んでいます。公認指導員のH(アマA級)ご夫妻で本当に長い間お世話になっています。温厚な人柄なお二人は誰にでも優しく接し、親切に丁寧な指導をしてくれます、そんなHご夫妻をサークルの方々全員が、大好きです。
またサークル会長も競技選手として頑張っていますし、仕事も大好き、遊び心をたっぷりと持って皆を笑わせ、楽しくさせてくれます。
家族のような雰囲気でダンスを楽しみいつの間にかサークル仲間が深い絆でつながっています、そしてその絆を大きく発揮する時があります。
それは毎年、鉾田市文化協会主催で11月に行われる「文化祭」なのです。 ダンスって素晴らしい 鹿行地区旭DSC 若林 弘子
その為にも脳トレを兼ねて丁寧に、そして綺麗に美しくと毎年新しいステップにチャレンジしています。ただある程度踊れるようにまでは、本当に大変で「ああ〜できない!」「もう駄目だ、難しすぎる」「こりゃ〜覚えられない無理だよ」など、あちこちからギブアップに近い声が上がります、そうして、こうして動けることができるようになりますと、指導員のHさんから魔法の言葉が掛かります「出来たじゃない“すばらしい”」との一言が出ます、皆嬉しくなり(笑)拍手が沸きます。
練習に練習を重ね皆、頑張って何とかまとめて文化祭には思いっきり日頃の努力の成果を発揮しスタンダードでは「ワルツ、タンゴ、スローフォックストロット、クイックステップ」さらにラテンでは「ルンバ、チャチャチャ、サンバ、ジャイブ」そして総仕上げにフォーメーションを十一組で披露することに・・・全員が揃って踊ることの難しさを感じながら発表します。
発表会の締め括りにH指導員によるデモンストレーションでうっとりさせられて感激の拍手の嵐です。一生懸命に練習をして無事に踊り終えた時は最高の達成感を皆で味わえます、本当に「ダンスって素晴らしい」と思います。
ダンス仲間は他の仲間にない魅力があります、音楽のあるところでは、歌ったり踊ったりと楽しみを共有しながら、心も豊かにするものです、これからも頭の先から足の先まで身体の続く限り心に誓いながら楽しんでいく心算です。
そのような関連の事業でまた別な楽しみ方もあります、毎年八月に開催される恒例の水戸黄門祭りが有ります、長い歴史のあるお祭りで開催二日目に行われる“市民踊りのフェステバル”に多くの企業団体や個々の団体が参加します。
JDSF水戸地区連盟も毎回百名近いメンバーが踊ります、私たちもH指導員に参加希望者はどうぞの声を掛けられ都合の付く会員は同行させて頂きます。夕方四時から頭にキラキラはちまきを巻いてモダンなハツピー姿でいざ出陣(笑)です、水戸のメーンストリートをサンバ調に踊り長蛇の列が続きます。
長時間踊り身体は汗まみれそれでも踊る、時折,涼風が顔に流れ落ちる汗を冷やしてくれて気分はノリノリです。足腰が元気でなければ出来ない事と思いながら今年も頑張ります“踊る阿呆に観る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃそんそん”とお馴染みの聞いたことのある言葉ですがそのような心境の参加です。
この様に和気合藹々とダンスを楽しんでいる私たちの旭ダンススポーツクラブサークルです。



 楽しいフォーメーションダンスを!
県南地区 石上裕尋 

26年前に初めて社交ダンスらしきものに出遭った。当時未だ50歳。その16年前に思うところがあって国家試験の資格試験を経て事務所を開設し、法務行政の一端を担いながら大いなる夢と希望に燃えていた頃である。
また、当時はバブルの恩恵にも授かり人生を駆け上っていた時代でもあり当に人生の最盛期であった。昭和天皇が崩御され、小渕官房長官が高々と「平成」という新時代の幕開けを掲げた一年後のことである。
その頃、私は所属する組織の一役員として同僚たちと会の運営や各種イベントの開催、担当庁からの通達や事例・判例の勉強等々、業務と会務に多忙を極め、いくら時間があっても足りない時代であった。今のようにパソコンが発達していなかつたため、可成り精度の悪い電算機とソフトを駆使して、土・日も盆も正月もなく、早朝から真夜中まで働きずくめの毎日を送っていた。それがなぜダンスにハマり込んでしまったのか不思議でもある。
きっかけはその頃、会議が終わるとお定まりの懇親会が開かれ、興が乗ってくると役員の一人が必ず得意そうに女性を相手に踊り始めた。今考えても決して達者なものではなかったが、『へエー』という興味を覚え帰宅して妻に話をすると、ぜひ習ってみたいとの返事。早速役員仲間の男女一名ずつを誘い入会したサークルがその後24年もお付き合いすることになった「アドヴァンスつくば」であったことは人生の機微の面白いところだろう。
ただし、誰も相手にしてくれないだろうと初っ端から四人で互助会のように交代で練習しようというネガティブの気持ちが強かったので上達するはずもない。勿論、見るとやるとは大変な違いで、昔読んだ「さらばモスクワ愚連隊」にドダドタドタした音楽という表現があったが私達もその後数年間はそのドタドタドタであった。しかし縁というのは不思議なもので、近くに住んでいる弟夫婦が既にダンスを楽しんでいて各種競技会も経験済み、この道の先輩として何かと相談相手となり兄弟夫婦で楽しい会話が続いたものでした。
始めてから七年間は妻と二人でレッスンと競技会を楽しんだが、彼女は突然心境に変化が生じて野生に目覚め、アウトドア派に変身した。目指したのは健康一筋で登山とハイキングになり、私もついでに引っ張りだされて登山に付き合わされたが歩いて驚いたのは、ダンスで鍛えた脚は結構強いもので、数泊もする遠出はしなかったが参加した大概の山は難なく踏破出来たことでした。
そういう経過で夫婦のダンスライフはひとまず中断となり、止むを得ず一人で続けることになった。(バンザーイ)
振り返ると競技会での数々の失敗と妻とのパートナー中断以外は順風満帆であった。『ん?それってダンスの全部じゃないの?』と思う事勿れ、ダンススポーツは奥が深かった。
パートナーの方々には散々迷惑をかけたが、サークルで発足当初から取り組んでいるフォーメーションダンスに惹かれていった。個人の競技会は年に二〜三回の出場になる。どうも性格が競争することに合わないようで、競技会より仲間とのコミュニケーションを楽しみながら作品をつくり上げることの歓びが勝ってきた。競技会で落ちた時の挫折感のようなものは全く無く、終わったあとの爽快感が何より素晴らしい。多分に自分の性格と支えて戴くパートナーの優しさや良い仲間との関係が重なるのだと思う。
平成14年に福島県で行われたねんりんピックで温かい歓迎を受けた。翌年は福島で生まれた交流を発展させて沖縄県を訪ずれ交流会を楽しみ、平成20年茨城国文祭、平成21年静岡国文祭と相次いでフォーメーションで参加させて頂いた。更に数度のダンスビュウ杯の出場、毎年行っているサークルと千葉先生のパーティーでの発表、また地区連盟での演技と各位から素晴らしい舞台を用意して頂きメンバー一同修学旅行の乗りで楽しんでいる。

ここ数年は腰痛と膝痛に悩まされ思うように体が使えなくなってきたが、生涯スポーツとしてのダンススポーツの愉しさと何者にも代えがたい20年来の仲間がいるかぎり、おじゃま虫にならないように今後も頑張って素晴らしさを伝えて行きたいと思っている。


 魅力あるダンススポーツ
茨城県県西地区キャッスルDC 西沢洋子 

私のダンススポーツとの出会いは、今から13年前、職場の友人に誘われ、近くの公民館にいやいや連れて行かれて見学したサークルでした。今もお世話になっておりますが、若林博・佑佳先生が指導されているサークルでした。その当時は知りませんでしたが、会社に勤務されながら茨城県県西地区の常務理事、東京でのレッスンに通いながら競技選手(DSCJラテンA級・スタンダードC級)として活躍されていました。現在はお二人共引退され、審判長・競技長・私達の指導者として、活躍の場を広げています。
そんなお二人のダンスを初めて見た時、ラテン音楽のリズムに乗った素晴らしい身体の動きに魅了され、私のダンス感が変わりました。すっかりダンスに嵌り、皆に早く追い付きたくて、教えて頂いた事を、家でダンスシューズを履き、毎晩練習していました。
  1年位過ぎた頃、リーダーさんを紹介して頂き、4〜5年間競技も経験させて頂きました。入賞した時の感動、一次予選落ちした時の悔しさ、虚しさも今は良い思い出です。
「そんなにダンスが好きなら、指導員の資格を取って勉強してみたら」と先生から資格取得を進められ、「資格を取ってからが自分の勉強だから」とも言われてましたが、本当にその通りでした。特に男性のステップ、リードの仕方、スタンダードの角度など、実際に勉強してみて難しさを身をもって知りました。
ダンスの指導も、資格を取ってから友達に頼み、3人のサークルから始めました。今では指導員も4人になり、お陰様で、若林先生の下で5つのサークルを皆で楽しく出来るようになりました。それに、ダンスビューさんの付録DVDベストセレクションを毎月楽しみにしています。今の私にとって
「オタスケマン」です。頭がさがる思いです。
ダンススポーツの楽しみ方は人それぞれで、表現力・技術力を磨き、二人で作り上げたダンスを評価してもらい競技を楽しまれている方、サークル・パーティで仲間を作り相手を楽しませ、自分も楽しんでダンスをされている方、健康維持・リハビリ目的でダンスをされている方、プロの先生とデモ・プロアマ戦などで楽しまれている方など、目的は違いますが、仲間が出来て人と人との輪が広がります。
2月9日、私が所属している茨城県県西地区第29回ダンススポーツ競技大会が桜川市で開催されました。私も当日だけお手伝いさせて頂きました。前々日、雪が降り、道路事情の悪い中、県西地区の伊藤会長をはじめ役員の方々は前日からの準備、選手の方々も大変な思いをされた事と思いますが、予定通り競技会が開催され無事に終わる事が出来てほっとしました。以前は選手として出場する立場でしたが、競技会の裏側を見て、皆の協力で成り立っているんだなぁと実感しました。
3月9日は、魅力いっぱいの「ロジャース杯争奪第16回東京オープン・ダンススポーツ選手権」をスポーツダンスが大好きな仲間と楽しんで来ます。